『偶然性・アイロニー・連帯』

今、私が信じていることも、数年後にはもう古臭いのだろう、というようなことを考えていると、諦念のようなものに捕らわれてしまう。 この種の諦念は単に無常観から引き出されたものなのだろうか。 私の信念もいずれは乗り越えられるのだという感覚。 私の”終極の語彙ファイナル・ボキャブラリー”が相対化される。 自らを再記述する。 これはリベラルの希望なのだ。